常識は人間を幸せにしますか?
ケータイにへばりつき、いらない情報をむしゃむしゃ食べて生きていく。
脳はもう満杯なのに、使い捨てのように
文字を浴びて、洗い流す。
ひがな動かすのは人差し指と、
重い瞼。
私のいちにちの終りは
丑三つ時。
私にかけてるのは何?
足りないのは実感。
そう、生きてるって感動。
遠い世界にあるほしいものを、引きづりこむ情熱。
今日の私の半径1メートルにあるものと言ったら、
よくわからないイラストで埋め尽くされた、108円のノートと
使わなといえば使わないがなにか決定的瞬間があった時に役立つ、テレビの前を占領する一眼レフ。
そしてそう、もちろんモモンガにかじられたイヤホンが刺さったアンドロイド。
今日いちにちここから動いていないのに
これだけで過ごしてしまったとわかったら、
なんだかまた、小学校の先生に追いかけまわされる猟奇的な悪夢でも見そう。
なんだかんだ文章になってるように見えるこれらは
意味のない単語の結集体である事実。
これを読み終わったあなたは、
今日、無駄にすごい舌を自慢しようとしてるわたしより
無意味な時間過ごしたことに気付いた??
小林大吾の
独特な節回しと、
村上春樹の短編小説を思い出すショートストーリーに引き込まれてしまった。
高圧洗浄機ポセイドンで
(暴力的に)私の悲しみをふきとばしてくれた。
サイドストーリーに手をかけすぎる感じも
点と点を無理やり線で結んでしまったような、イラストたちも
これから楽しんでいきたい。